2018年4月23日月曜日

政治思想の見取り図


消極的支持或いは消去法
安倍政権がピンチだそうだ。とはいうものの自民党内部や財務官僚の「安倍降ろし」以外には特に脅威があるわけでもない。ある程度の現実主義にたって政権運営が可能なのは現時点で自由民主党以外にないし、グローバリゼーションに対応することでエスタブリッシュメントの支持を、憲法改正や中韓等への対応から保守層の支持を集める安倍内閣はサヨク&サヨクマスメディアが騒ぐほどにピンチだとは思わない。安倍政権については「消極的支持」である。

政治は本質的に利害調整である。政党政治に基づく議会制民主主義においては最大公約数的な政策が主張される。利害調整であるから、政権政党やそれに近い大政党は国民のマジョリティの最大公約数的な意見や願望が反映された政策となる。最大公約数なのだから、自分の考えと非常に近い政党というものはよほどの幸運か、何も考えていない場合以外には存在しない。従って消去法での消極的支持が常態であるし、特に成熟した日本という社会においては、熱狂無き冷静な状態が望ましい。(マスメディアによる愚民化については別の機会に。)

保守vs革新?
安倍政権は「保守」と呼ばれている。尤も一部の若者の間では「革新」と呼ばれることもあるようだ。それも無理もない。否、安倍政権、或いは自民党政権は「革新」であったかもしれない。保守であるはずの安倍政権は小泉政権ほどではないにせよ、改革を叫ぶし、グローバリゼーションに肯定的であるし、積極的な親米である。「改革を叫ぶ保守」等は語義矛盾ではないのか。翻って、民進党や共産党は憲法絶対護持である。共産党とそのシンパに至っては「人々の生活を守れ!」と絶叫している。これは「保守」ではないのか?

戦後日本の常識的な区分は「親米=右翼=保守」「親ソ=左翼=革新」であった。米国による軍事占領の結果「親米+自由主義+経済優先」の体制が構築されたため、それを維持するのが「保守」、共産主義・社会主義へのシンパが「革新」ということになった。ところが大日本帝国の牙を抜くために米国が制定した「日本国憲法」は革新の理想が記されていた。天皇の宗教的側面の否定と九条の話である。佐伯啓思の言葉を借りれば「軍部に騙されて侵略戦争した」という米国製の「フェイクニュース」と上手くマッチしてGHQによる巧妙な検閲の下、「現実主義=悪=保守」vs「理想主義=全=革新」という戦後日本の思想的な構図が定着していった。この「日本国憲法」は「戦争放棄」というある種の理想が記載されている。日本における「革新」は「理想主義=善」であるため、これを墨守するという立場をとらざるを得ない。さらにソ連の崩壊により、共産主義幻想も崩壊してしまった。その結果「理想主義者」の拠り所はどれほど古臭くなったとしても護憲以外になくなってしまったのである。

一方、ソ連の崩壊とともに「自由主義」の勝利が確信され、共産主義シンパはその意味を失った。しかし、ここを起点に「自由主義」が「新自由主義」として暴走を始める。冷戦末期、米国のロナルド・レーガン大統領や英国のマーガレット・サッチャー首相による新自由主義は保守の顔をしていた。それぞれ、共和党・保守党という「保守」側から出てきたものであった。日本では中曾根康弘が首相であり、米英、とりわけ米国との蜜月時代であった。本来の意味での「革新」の本質は「普遍的にどの社会であれ、計画的に社会を進歩させる(ことができると考える)」ことである。そうだとすると、ソ連が崩壊した結果、一番左にくるのは実は米国であった。米国こそは「進歩主義」であり、「計画主義/設計主義」であり「革新」そのものであった。そして米国は共和党・民主党にかかわらず「グローバリズム」を推し進め、新自由主義のドグマである市場の自動調整機能を信じて、弱肉強食化を推し進めた。そしてその薫陶を受けた、或いは庇護下にある我が国の自民党は「保守でありながら絶え間なく改革を訴える」という不思議な政党となった。小泉純一郎が首相であったころの「改革なくして成長なし」というフレーズは米国的「革新」そのものである。
これが「改革を訴える保守」と「生活保守と護憲を叫ぶ革新」という構図の大まかな見取り図である。




西欧文明の根本的なロジック
日本における一般的な「保守」の定義は前述のようなものである。乱暴に言えばネットスラングの「ネトウヨ」が意味しているものと大差ない。混乱を回避するために、さしあたりそれぞれ「ウヨ」「サヨ」と呼んでおこう。子供っぽいネーミングだが、どちらも少し足らないのでふさわしいだろう。さて、保守主義の父と呼ばれるエドマンド・バーグ的な意味での保守と「ウヨ」とはあまり関係がない。保守は「人間理性万能」に対する警戒から生まれた思想である。「人間理性万能」 主義は1789年に発生したフランス革命を嚆矢とする「人間が社会を設計し、理想社会や文明を構築する」というような考え方だ。それは西欧的な意味でのヒューマニズムであり、近代主義そのものと言ってもいい。その一つの帰結が計画経済である共産主義であり、もう一つの帰結が科学万能を前提とした市場原理主義である。前者は分かり易い。人間の理性が絶対ならば、英知を結集して限りなく無謬に近い計画を作ることができるであろう。それを優秀な管理者が実行管理していけば、間違いなく素晴らしい社会が到来するであろう。その社会を共産主義社会と呼ぶ。と、こういうわけである。この観点で言えば、ソ連はフランス革命政府の直系の子孫である。後者は少し込み入っている。人間の理性が絶対ならば、経済はそれぞれの人間に備わっている理性に任せることで、「神の見えざる手」が動き、結果、最終的に最高に効率化された社会が到来するであろう。それは平等ではないが公正な社会であり、これを資本主義(市場原理主義)社会と呼ぶ。ということだ。どちらにせよ、人間の理性、平たく言えば脳みそを楽観的に信用している。理性が作り出した、共産主義であれ、民主主義であれ、計画経済であれ、自由主義経済であれ、人間に普遍的に通じる思想、即ち理想が実在することを信じて、人工的に文化・経済またそれを統合した文明を創り出す、改善、改革できるという考え方である。この考え方が西欧の根本にある。プラトンのイデア論に一神教であるキリスト教が混淆した思想が根底にはありそうだ。

文化・文明に設計図はない
少し考えてみればわかることだが、文化・文明というのは人間が設計して生み出したものではない。社会的動物である人間が、その時その時に必要な行動、例えば、話し合い、喧嘩、戦争、研究、発明、創発などを積み上げていった結果、「できてしまった」ものである。聖徳太子がこのような国であれかしと決めたから、日本の社会がこうなったわけではない。日本列島に住んでいた様々な人間の行動の結果が蓄積され、「なりゆき」で日本文明が形成されたはずである。その時々に天才が出現し、大きな影響力を振るったが、その天才たちが社会や文明それ自体を「設計」したわけではない。織田信長がブラック企業を許容する文化を生み出したわけではない。要するに人間たちの思慮や行動の蓄積が文化・文明を構成しているのである。しかし、ただ蓄積していくだけで文化・文明が構築されていくわけではない。そこには「時間」という篩(ふるい)が必要である。その時に最善のものであっても時間がたつと陳腐化する。非合理になる。不便になる。そうしたものは淘汰されていく。その時間の重みに耐えたもので、完全には理解不能な正当性がある認識されたものが「伝統」と呼ばれる。文明は文化(同じ時代に広がるもの)を横糸に、伝統を縦糸に構成されるものである。そして、それを是とする態度、考え方が「保守」であり、「保守主義」ということである。

これは理性万能の普遍主義とは真逆の考え方である。保守主義は人間の理性を万能とは考えない。保守主義は普遍的価値や人類共通の理想を「虹のようなもの」として扱うのである。追うことはできるが、たどり着くことはないということである。

「ウヨ・サヨの奉じているもの」
普遍主義は理想主義と相性がよい。人類共通の価値であるのだから、この価値が全世界で受け入れられるべきだと考える。理想主義も、このような素晴らしい理想なのだから、何よりも最優先されるべきだという考え方であり、現実と向き合いを粘り強く改善するというようなことが苦手だ。なぜなら素晴らしい理想(普遍的な価値)があるのだからそこに一足飛びに改革すべきだと考えるからである。これが日本の「サヨ」の発想である。門田隆将がそうした人々を「ドリーマー」と呼んだが、なかなか適切なたとえだった。これが衰退したのは喜ばしいことだ。理想主義と普遍主義が結びついて、政権を握るとろくなことにならない。ある価値が絶対に正しいならば、それ以外の価値は無価値であり、悪である。従って弾圧すべきとなって、容易に全体主義に行き着くのである。ジャコバン独裁もナチズムもスターリニズムも理想主義的普遍主義が生んだ地獄であった。一足飛びの改革のことを普通は「革命」と呼ぶ。

では「ウヨ」ならよいのか。米国は明らかに普遍主義の国である。民主主義(アメリカンデモクラシー)と資本主義経済は人類普遍の価値であり、あらゆる社会は様々な曲折を経ながらも最終的に民主主義+資本主義になるはず、なるべきという立場である。これは結局一つの理想世界を目指しているのであり、ある種の全体主義と言ってもよい。共産主義という極左が消滅した今、普遍主義、進歩主義の観点から見れば、米国は現時点で極左である。ダイバーシティなどと言っているが、PC(ポリティカル・コレクトネス)の本質は全体主義の言論統制と何一つ変わらない。そして中曾根内閣以降の自民党は対米従属の傾斜を強めている。ロンーヤスにせよブッシュー小泉にせよ、安倍首相の「価値観外交」にせよ、米国の唱える「普遍的」価値を奉じることを言っているのである。こう考えると「普遍主義・進歩主義」という点で「ドリーマーサヨと親米ウヨ」は同根である。

縦糸を改めて見つめなおす
「革命」が起きるとそれ以前の歴史との断絶が起きる。例えばルイ16世が断頭台に上って以降、寡頭政体のレジームであったフランスは崩壊し、共和主義のフランスとなった。そこでは過去は否定さるべきものとして扱われ、粛清の嵐が吹き荒れた。日本における「断絶」は言うまでもなく1945年から1952年。敗戦~占領の7年間である。これ以前と以後で歴史が断絶した。いや断絶したことにした。日本が受諾したポツダム宣言にある通り「一部の軍国主義者が日本国民を欺いて世界征服を企んだが、米国をはじめとする正義の民主主義国家に打ち破られ」(宣言には本当にそう書いてある)て、回心(コンバージョン)したというストーリーで主権を回復した。半主権国家かどうかは置いて、国際社会に復帰するにはそれしかなかった。「世界征服を企んだ(ショッカーか)」とされる戦前世界を「悪」と規定したために、そこで縦糸を断ち切ったわけである。

だが、ドイツ第三帝国とは異なり、自覚的に「世界征服」だの「民族浄化」だのを大日本帝国は企んだわけではない。ナイーブで稚拙で大失敗であったが、西欧文明による世界秩序に挑戦しただけであった。それも自覚的ではなく、なし崩しに大戦争に突入してしまったのだ。そうでなければ誰が、チャイナと英国の片手間に勝算のない対米戦争などするものか。「我々は降りかかる火の粉を払いのけようとしただけだ」と。私も祖父や祖父の友人に直接そのように言われた記憶がある。だが、これは公的にはタブーとなった。なぜなら大日本帝国はショッカーだったと日本政府が言ったわけである。ここで建前と本音が激しく分裂した。顕教と密教と言い換えてもいい。この密教は非公式の場でのみ伝えられてきた。

結局、縦糸は断ち切られてはいなかったのである。伏流水のように非公式の場に潜っただけであった。この密教化した縦糸を通じてしか、我々は祖父母・曾祖父母の考えていたこと、感じていたことを感じることができない。保守主義の立場で重要なのは、この構図を理解して、あくまで漸進的に密教から顕教の一部へと、言い換えればタブーを新しい共通認識へとつないでいくことが重要なはずである。なぜなら、伝統とは普遍主義とは逆に、その国、その土地、その民族固有の歴史、立場、文化、文明を尊重し、あくまで漸進的に継続改善する立場であるからだ。欺瞞的とは言え、戦後民主主義の存在さえも全否定はせず、少しずつ、以前より少しマシな共通認識を作る。少なくとも大日本帝国がショッカーだったというようなフェイクニュースから戦後日本が出発したことぐらいは常識として共通認識としておきたい。

このような抽象的な思考をしなくとも、普通に考えて我々の祖父・曾祖父の世代が世界征服を企んであの大戦争をしたということが、おかしいと思うくらいはできるはずである。そんなわけはなかろう。私や読者の祖父・曾祖父たちがそれほど愚かであったはずもない。それにしてもお粗末な顕教を信じ込んだものだ。それを建前としなければ例え半分であっても「主権国家」として復帰できなかったという事情はあったにせよである。






2018年4月1日日曜日

For your happiness


仕事は楽しいか?
多くの企業で新年度が始まる。日々の仕事が楽しいという人は幸いである。しかし様々な理由により毎日の仕事が苦痛である人は多いであろう。特に会社勤めの人で仕事が苦痛である人はかなり多い。実際に2017年の米ギャラップ社の調査によればやる気のない社員は70%、非常にやる気ある社員は6%であり、132/139ヵ国という非常に低い結果が得られた。それなりに高給で知名度も高い会社でも、行き詰まり感と愚痴に満ちていた。ちなみに「周囲に不満をまき散らす無気力社員」は24%。我が国を代表するような大企業を含む、いくつかの企業を渡り歩いた経験に照らすと大体正確に実態をとらえており「まあそんなもんだろう」というのが感想である。この状況に対する処方箋はそれこそ「自分のビジネス」として考えていくテーマではあるが、とはいうものの一般的な解がそう簡単にあるはずもない。これまでの経営や慣習、雇用の硬直性など様々な要因が複雑に絡み合っているので、個別具体的に考えていくしかない。このブログポストで書きたいのは、そういうことではなく、ある種の人々にとっては自分のことを自分で決めるようにすることで劇的に仕事が面白く、ストレスが軽減するという経験的な話である。それは私自身のストーリーでしかないので誰にでも通用する話ではないし、誰にでも有用という訳でもない。だが、読者の内の誰かの参考となればと思う。

不全感の元
私の仕事上の「不全感・不幸という感覚」の源泉はどこだったのか。20年ほど社会人をやりながら考え続けてきた結果、どうやら「自分自身の手綱を自分で握っていないこと」がそれであったように思う。というのは独立した現在、少なくとも主観的には幸福と感じているし、仕事上のストレスはほとんど感じない。サラリーマン時代よりも働いている気もするが、苦痛は感じない。その結果から判断するに「自分自身の手綱」を他人が握るか、自分で握るかが私の幸福のカギであったらしい。勿論、家族に恵まれているという要素はあるがそれば別途論じることとする。

20代前半で最初の企業に就職してからの3-5年くらいは、修行期間であった。特別な才能や強烈な「やりたいこと」があったわけではない私の場合はただ「使えないプログラマ」と「インチキSE」であった。謙遜ではない。プログラミングは未だに好きでも得意でもないし、当時の私のレベルはSEとしても非常に低レベルであった。そこからは外資系コンサルティングファーム、日系の総合人材企業、日系の製造業の中のシステム事業部と恐らく幸運なことに大企業ばかりを経験してきた。職種も様々だ。プログラマ、SE、グループ内営業、コンサルタント、人材紹介営業、法人営業、コンサルタント、商品企画、できることは何でもやってきたつもりである。待遇面でも外資系コンサルティングファーム時代を頂点に、いわゆる一流どころの給料であったので、実感はなかったが比較的恵まれてはいたはずだ。だが、楽しかったか?と言われれば非常に答えにくい。いや、逃げずに言えば「苦痛だった/モチベーションを維持するのが不可能だった」と答えるべきだろう。誤解のないように記しておくが、今となってはこれらの企業、同僚、上司には感謝しかない。それぞれの場所で多くのことを学んだし、その経験は私の仕事人生そのものである。それぞれの会社を批判するつもりはない。私が悪しざまに書いたとしたら、それは「構造」に対する批判だととらえていただければありがたい。

前置きが長くなってしまった。特に日系企業でのサラリーマン時代の苦痛を書いていこう。外資系での苦痛は「苦痛の意味」が異なるから別の機会に譲りたい。

苦痛の分析
まずは評価だ。被評価者として査定されるわけだが、これがたまらなく嫌であった。理由はこうだ。何をどう努力すれば評価が上がるのかがわからないからだ。実際、営業職でない限り、目標は定性的でしかも恣意的だった。勿論、人間が人間を評価するのだから、最後は好き嫌いであることぐらいは理解していた。しかし、それにしても不透明である。結局「上司の覚えをめでたくする」以外に評価を上げる方法はない。私の場合は良くも悪くも多くの上司と反りが合わなかったので、とりあえず被評価者として「評価を上げる」努力は完全に放棄していた。なぜこいつのご機嫌を取らねばならないのだという思いがどうしても拭えなかった。他にも理由がある。ここで評価が高かろうが低かろうが、さほど報酬に変化はない。またこの評価と昇給・昇格の関係もよくわからない。
では営業職なら明確なのか。確かに営業職は売上という動かしがたい「定量的目標と実績」がある。予算を達成すれば、評価は上がる。だが、残念ながら、担当商品やエリアは選べず、基本的にスタート時に大体ゴールが決まっている。最初に貧乏くじを引いてしまえば、予算達成できるかできないかが大体予想できてしまう。担当エリアなどは合議風の強制で決まるので、納得感はまるでない。では新製品やサービスを立ち上げればよいかというと、新しい商品やサービスをペイするまで育てるのは非常に難易度が高い。千三つ(成功するのは3/1000という意味)と呼ばれる領域での営業活動は既存事業での営業活動と難易度があまりにも違う。しかし、成熟した日本の大企業では新規事業を評価する尺度がない。新規事業に対しても売上目標が設定され、達成できないと実質的なつるし上げ会が始まる。勿論、評価者も周囲も本音ベースではわかっているので「大変だなあ」という声掛けはもらえる。だがそれが評価に反映されることはない。あるのかもしれないが私には知りようもなかった。

次は働き方である。ハードワークが嫌なわけではない。実際、40過ぎた今でも、必要とあらば徹夜も辞さない。昨年末から今年の年初にかけては大体毎日タクシー帰りであった。平均的な一日の労働時間は15時間ぐらいだっただろう。それでも精神的なストレスがないからどうということはない。ただ肉体的に疲れるだけである。しかし、日系企業で働いていた時はそうではなかった。自分で行動計画をざっくり立てて、それに従って日々行動しているのだが、上司の思い付きで差し込み作業が入る。すると計画が狂う。顧客の都合で差し込み作業が発生するなら文句はない。それは仕事の内であるし、そんなことは織り込み済みである。だが、上司の思い付きはそうではない。激務の間でも平気で無意味としか思えない会議を招集したりする。とあるお客様の案件で関西地区でシステム構築案件での話である。私が見積もりをしたのだが、常識的に考えて一人ではできない工数であり、納期であった。見積もった当初は3名程度で考えていたわけだが、ふたを開けたら、私がそのまま担当して、しかも一人。当時の上司に向かって何度もヘルプサインを出し、一人では無理だと訴えたわけである。しかし、一向に改善される(人がアサインされる)気配はない。東京のオフィスにいる際は何度もその話をしているのだが、社内メンバで何とかしろの一点張りである。勿論、社内メンバはそれぞれの案件を抱えており、身動きが取れない。そのくせ、時折思い付きで会議を開催しては独演会をする。いらぬ作業指示が来る。ただでさえギリギリの工数がさらに圧迫される。ストレスの頂点に達した私は、こんなメールを出した。「もうあなたとコミュニケーションをとる必要を感じない」と。そして良い関係性を構築していた顧客から、こちらの内実を話して「貴社の体制が不安だ」と訴えてもらったのだ。結果、外注のソフトウェア会社に助けてもらうことができた。勿論そのお膳立ては社内メンバと私が行った。何しろ、社内の上司が実質的に敵になるのだ。この下らなさったらない。社内調整と説得に工数を食われてのハードワーク。馬鹿々々しいにもほどがある。

人は時間的、体力的に働きすぎて死ぬのではない。四面楚歌の状態や意義を感じない仕事をやらされた結果のハードワークには耐えられない。多くの過労死の原因はそこにあるはずだ。睡眠時間を削ろうが、寝ないで働こうが、楽しく働いてさえいれば死んだりしない。楽しくないのに長時間働くから死ぬのである。

三つ目はマイクロマネジメントである。30代も半ばになると、ある程度の判断は自分でできるようになる。だが、権限移譲という概念が薄い日系の大企業ではやたらと細かいマイクロマネジメントがなされる。ある領域を任せたのなら、任せればよい。しかしそれができない。口では「君に任せる」というが、それは口先だけである。結局我慢できずにあれはどうなった、これはどうなった、どうするんだのマイクロマネジメントが始まる。それに従って失敗した時に一緒に尻ぬぐいをしてくれる上司はまだよい。だが、それさえないのにマイクロマネジメントをされるとはっきり言えば「馬鹿にされている」としか感じられない。「俺はあんたの子供でも家族でもない」といつも考えていたし、嫌がらせに「はい!いまからトイレに行ってきます!」などと叫んでもみた。これはある特定個人を非難しているのではない。日系企業ではかなりの確率でこのマイクロマネジメントをしたがる上長が存在する。そのくせ、失敗すると尻ぬぐいさえしてはくれない。ただ、部下のせいになるだけである。基本的に「大人として」部下を扱うことをしない。正確にはできないのだろう。その時代の私の口癖は「そんなに気に入らないならクビにすればいいでしょう」であった。大人気ないが、相手も大人扱いしないのだ。それぐらいがふさわしい対応だろう。

「自分の手綱を自分で握る」
この「楽しくなさ」の根幹はどこにあるのだろうか。最初に記した通り私の場合は「自分の手綱を自分で握れないこと」にあったようである。結局、サラリーマンを辞めて自分で会社を作り、零細コンサルティング会社を経営することになった時、社会人生活を楽しくないものにしていた「不全感」は消し飛んでしまった。サラリーマン時代と変わらないぐらい、或いは場合によってはそれ以上に働いているが、ほとんどストレスらしいストレスは感じない。ようやく自分自身の人生を生きている気がするし、自分で自分をしっかりとコントロールしている感覚が持てている。お陰様で仕事にも恵まれ、サラリーマン時代よりも経済的にもずっと恵まれている。もっと早くに独立すればよかったと思うほどである。実際にはベストなタイミングだったと思っているが、気分としてはそうだ。

まず評価はない。あるのは評判と報酬という名のフィードバックだけである。ハードワークもやらされているわけではないので全く苦にはならない。勿論、上司なんてものはないからマイクロマネジメントや社内政治とも無縁である。嫌な仕事は断ればいいし、失敗したら、やり直すだけである。その仕事を失うかもしれないが、また別の案件を獲得すればいいだけのことである。会社勤めの「安定」を手放す不安もよくわかる。私もそれで10年以上悩んだからだ。必要とされるスキルと縁さえあれば、日本は思いの外独立起業に優しい。考えてもみてほしい。私の父は中卒のケーキ屋だが、小さな町のケーキ屋として立派に経営してきた。それを考えれば、ビジネスマンとしてのスキルさえあれば、出来ないこともあるまい。また政府としては起業・開業を増やしたいので各種制度も充実しているし、税理士にいくらか支払えば、面倒なことはすべて代行してくれる。名刺の会社名に未練がなければ、あとは勇気だけである。

世の中の変わらなさや会社のくだらなさを嘆くのは簡単である。「家族がいるから」もよくわかる。しかし、世の中も会社も変えることは難しい。社会構造はそう簡単に変化しないし、変化してよいものでもない(それは革命である)。会社も経営者でない限り変革するのはそう優しいことではない。それにくらべたら、自分と家族をサラリーマン以外の手段で喰わすことははるかに容易なはずである。

この文章に共感してしまった人は独立することをお勧めする。勿論、誰にでもできるわけではないだろう。向き不向きもあるだろう。だが、独立起業することで見えてくるものもたくさんある。サラリーマン時代に培った何かがあれば、恐らくは誰かがそのスキルやノウハウを必要としているものである。これも独立して初めて実感できたことである。私のスキルや経験が本当に役に立つのか?自問自答を10年した。今はある程度の自信をもって「役に立つ」と言い切れる。また「人脈」の本当の意味も独立しないと分からないと思う。実際に人脈がつながり、仕事が頂けるという経験をしなければそのありがたさは理解できない。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」は真理である。迷っているならば独立したほうがよい。周囲の意見を聞く必要はない。出来ない理由はいくらでもある。しかし、できる理由は実際に独立しないと分からない。あなたの幸福のために、切に思うのである。