2017年6月13日火曜日

語り部たちへの反論(シリーズ:何を反省するのか?)

池田信夫氏主催のサイトであるアゴラで「戦争体験者の私が、いまの政治家に申し上げたいこと --- 釜堀 董子」という一文を読んだ。私の父の年代である戦中派(1937年生)の著者が自らの実体験をベースに現政権や「右傾化」する比較的若い世代を批判する内容である。戦中派の語り部が行う議論のある種の典型であったので、チェックしておきたいと思う。というのは、その実体験に対してどうしても「遠慮」が発生してしまい、それ自体が異論を許さないという議論の拒否や思考停止を生むと考えるからだ。正直なところ私もこの「遠慮」から自由でないし、若干己の中の抵抗を感じながら書いている。しかし、議論の拒否は不毛なのであえて反論したい。もちろん釜堀氏は面識もないし、その御年でウェブメディアに寄稿されていることには敬意を表する。個人的な悪意があるものではないことをお断りしておく。


『1937年生まれの私は、12月に80歳を迎える。実体験は少ないが、まわりから教わった戦争体験を、しっかりと伝えることが必要ではないかと感じている。』

このような書出しから始まる。読者はここで「戦争体験者」と思う。そして「戦争反対」「九条守れ」という議論が展開されることを容易に予想してしまう。そして案の定、記憶が定かでないとエクスキューズを入れつつ、出征兵士が「万歳」の声に見送られながら目に涙をためていて「本当はみんな行きたくない」と当たり前のことを説明する。冷血漢の汚名を恐れずに指摘しよう。この著者が想定している読者は戦後生まれ、団塊の世代以降であろう。ウェブメディアへの寄稿がその証左であるし、戦中生まれと戦後直後生まれの世代がもつ共通認識(とこの著者が信じているもの)を持たない世代を想定している文章であるからだ。逆に言うと、「戦争を知っている」ということを根拠とした権威主義に基づいているとも言える。

さて、出征兵士が「本当はみんな行きたくない」のを60年代以降生まれ(取り合えずややこしいのでそう定義しておく)のわれわれが想像できないとでも思っているのだろうか。ちょっと調べれば「徴兵逃れ」などはある種の常識であったことは分かるし、どこの世界にリンチで有名な帝国陸海軍に徴兵されて、しかも死地に赴かざるを得ない事を歓迎する人がいるだろうか。出征兵士は行きたくないが義務として、男性に生まれたある種の宿命と思い定めて出征した人がほとんどだっただろう。もし、兵士は嬉々として戦地に赴いたと信じている人がいたら、左右を問わず正常な精神を持っているとは思えない。また我々の世代が「万歳」の中出征したのだからうれしかったはずと勘違いしていると思われているのであれば、「馬鹿にするのもほどほどに」していただきたい。「万歳」は建前に過ぎぬ。当たり前である。



1937年生まれということは1940年、1942年生まれの私の両親とほぼ同年代である。この世代の戦争経験とは「疎開」「外地からの引揚」「空襲」「機銃掃射」「原爆」「敗戦」「傷痍軍人」「占領」である。直接地獄の戦地に赴いたわけでもない。赴いたのはその親の世代である。そして幸運にも生きて内地に帰ってきた人々に戦争の話を聞いたはずである。著者は1945年には8歳、最終位置がどこかによるが、出征していた父がいれば再会したのはおそらく1945年から1947年であろう。するとそのとき彼女は8歳~11歳の少女だったはずである。そのかわいい盛りであり、感受性の強くなる思春期直前の娘に対して出征した父や元兵士の大人たちは難しいことや残酷なことを語っただろうか。語るわけがない。戦争のこと質問したって、黙したか、「戦争は悲惨だよ」以上の説明しかしなかったであろう。当たり前である。敗戦によって否定された自分たちの信念や大儀、そこに至るまでの政治的な経緯のような難しい話は子供には理解できない。ましてや占領され米国による国家改造が進む中で、余計な情報を、生きにくくなるような情報を子供に教えるわけがない。


『時は流れて、日本は終戦72年を迎えた。日本人でありながら世代間による戦争の考え方は大きく変わってきている。私の世代は「二度と戦争はすべきでない」と答えるだろう。しかし、若い世代は「日本は強くなるべきだ」「平和を守る一員になるべきだ」と答える。』

と嘆いてみせる。ほほう。「二度と戦争をすべきでない」と答えるのは1935年~1950年代に生まれた世代だけだろう。あるいはそれ以前に生まれていても銃後にいて安全と思い込んでいたのに、爆撃により殺されかけたり、家族が死んだりしたケースでかつ、あまり何も考えていない人だけである。少し言い過ぎかもしれぬ。「二度と」とは'NEVER'の意である。だから、この議論は「他国が攻めてこようが、無抵抗でされるがままにされるべきだ」という結論に当然に行き着く。そして、その結果としての隷属や陵辱、そして家族の死を甘んじて受けよということになる。はっきり申し上げて「何を言っているのだ」である。「戦争をすべきでない」。同意である。全力で戦争に突入することは回避すべきである。だが、他国が、具体的には中華人民共和国や北朝鮮が侵略してくれば、反撃する必要があるに決まっている。また、日本を守るためならば「他国の兵士(若者)」が血を流しても、自国は血を流さないということには言及しない。当たり前の反論に耐えられる程度の正当性すら持っていない。ただひたすら戦争は「悪」だと言い募っているだけである。はっきり言えば思考停止であり、議論の拒否である。


『私の子ども時代や若い頃は、戦争といえばそれだけで世論が沸騰した。戦場へ行った人たちが大勢いたからである。戦地にやらされ、九死に一生を得た彼らの感情は激しかった。一方日本国内は、空襲や原爆で廃墟になっていた。戦争の悪は日本人すべてが認識したといっても過言ではない。戦争につながるものは激しい批判にさらされた。

だから憲法9条も非武装中立も、さほどの違和感なく受け入れられたのである。民主主義も男女平等も新憲法も、天皇が神から人間になったのも、すべてが180度の転換だったが、すんなりと行われたのである。』

あえて言い切ろう。認識が間違っている。戦場で生き残った兵士が激しく反応したのは道義的な理由ではない。日本が近代戦を遂行する能力がない事を肌感覚で知ったからである。少なくとも「精神力が戦車を圧倒する」というような思考はまったく無力であることを知っており、ただ精神力を強調するだけの上層部が無能であることを、そして補給なき軍隊がどのような地獄を見るのかを彼らは知っていた。だから反対したのである。しかし戦中派や団塊世代はそうではない。道義的な理由から、あるいは「一部の軍国主義者」に責任を転嫁し、イノセントな自分でありたいがために批判したのだ。反対の理由が違うのである。おそらく忘れておいでだろうが、一緒になって「戦争反対」と叫んでいると、元兵士に「戦争に行っていないやつらに何が分かるか!」と怒られたり、殴られたりということが頻繁にあったであろう。理由は述べたとおりである。片方は「地獄を見た我々の記憶において日本国に近代戦を遂行する力はない。それがゆえに反対!俺たちがいた地獄に子供たちを送るな!」と言っているのである。しかし一方は「戦争は絶対悪だ、その戦争を遂行した戦前は悪だ!(そしてそれに反対している俺たち/私たちは善だ)」と言っているのだ。そして括弧内の思いを前者が認識すると怒られたわけだ。「俺たちをダシにしやがって」と。

今はもう、祖父母の世代はほぼいない。もはやそのように怒られることもなくなり、特権的に語れるようになった。

この後は内田樹を持ち出し、的外れな管理教育論を展開する。ここは、年寄りの耄碌として大目に見よう。
そして民主主義万歳論。敗戦によってもたらされた民主主義が日本はまだ自家薬籠中のものにしてないから右傾化し絶対平和主義が脅かされているというおなじみの展開がなされ、そして安倍政権が強いのは民主化が足りず、マスコミが忖度しているからだという雑な結論になる。しかしながら、民主主義と絶対平和主義は何の関係もない。民主主義はどちらかといえば戦争を生み出す。ファシズムの母体がワイマール憲法下の民主主義であったし、リベラルの皆さんが大嫌いな米国のトランプ大統領も民主主義で選ばれたわけである。もっとも中華人民共和国や朝鮮民主主義人民共和国を民主主義と呼ぶなら、言葉の定義が違うので、これは議論にならない。民主主義というのは平和主義とは無関係である。民主主義は古代ギリシャの民主制を原型としており、これは「兵士として命をかける」ので「国政に参加する権利がある」というものである。従って、原理原則で言えば「民主主義=国民皆兵」である。民主主義が大好きな不勉強な向きには意外かもしれないが、そういうものである。もちろん原理原則の話で現在の高度な専門性を求められる軍隊や自衛隊では「国民皆兵」というわけにはいかない。

安倍政権が無駄に強いのではない。民主主義の原則が機能しているために、説得力のある対案が出せる、魅力的なコンセプトが出せる、あるいは人柄を含めてカリスマであるような有能な野党が存在しないだけである。絶対平和主義は単なる空想である。それこそ戦争を知る世代を名乗るならばそれを知っているはずであろう。それが分かっていながらこのような主張をするなら、たんなる欺瞞・偽善であり、分かっていないなら単なる馬鹿である。


以上、非常に心苦しい内容だが、こうした反論をだれかがする必要があるだろうと筆をとった次第。

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