2017年1月15日日曜日

交戦権という主権について(その1)

「何故日本だけが交戦権という主権を停止されているのか?」
これに関して私は納得の行く説明を誰かから聞いたことがありません。(若干読んだことはあります。)少し前にも書きましたが、私は昭和50(1975)年に東京の世田谷区というところで生まれました。戦中(昭和18年・昭和15年)生まれの両親に育てられ、自営業をしていた両親は週末になると私を近くに住む母方の祖父母(明治44(1911)年生まれの祖父と大正9(1920)年生まれの祖母)に預け、特に祖父に可愛がられて少年時代を過ごしました。

くどくどと何年何年と書きましたが、このテーマはかなり世代によって見解が異なる気がするからです。子供の歴史観に大きな影響を与える学校教育や社会情勢はかなり年代によって異なりますし、直接従軍した経験のある身内や微かであっても戦争の時期を体験した身内がいるかどうかもテーマへの見解へ重要な影響を与えるでしょう。

冒頭の「日本の交戦権の停止」について小学生の頃に両親に尋ねたことがあります。「どうして日本は戦争しちゃいけないの?」と。父と母の回答は同じものでした。「戦争になると人が沢山死ぬし、戦場に行くというのは死にに行くのと同じだからだよ。」父と母の答えに微妙なニュアンスの違いは感じましたが、内容は同じでした。同じことを大好きだった祖父に尋ねたこともあります。祖父の答えは「戦争に負けたからさ」でした。それ以上については子供に分かるはずがない(今もその判断は正しいと思います)と考えたのでしょう、それ以上は笑って答えてくれませんでした。

当時の義務教育の社会や歴史科目はバリバリの戦後民主主義・東京裁判史観であり、日本悪玉論の全盛期。今でも覚えていますが、幸徳秋水のような社会主義的無政府主義者(バクーニンみたいなもんですね)が歴史の教科書か何かにイラストで載っており、与謝野晶子と一緒に「私たちは人が人を殺す戦争には反対です」のような吹き出しが書いてありました。抵抗むなしく帝国主義と軍国主義の世の中に敗れたような調子で表現してあり、あたかも悲劇の英雄のような扱いでしたね。(今の教科書はどうだか知りませんが。)

少し長じて中学生ぐらいになると、学校教育で教わる内容に少し疑問を持ち始めます。それは単純化すると「歴史の教科書の通りだとすると戦前の日本人が馬鹿で軍部に騙されていたことになるが、祖父を見ていると到底それほど馬鹿には見えない」というような疑問です。その頃は同年代の子供の水準としてはかなり読書していた方だったので、第二次世界大戦の大雑把な経緯や日本国憲法成立の経緯も知っていました。

それでまた両親と「なぜ日本だけが戦争してはいけないのか?憲法9条とはなんなのか?」について話をしましたが、数年前の説明では息子が納得しないので、父が「戦争で負けたからさ。でもアメリカは戦後に食料や経済で支援してくれたから恨んではいけない」という趣旨の説明をしました。これは何故かよく覚えています。

祖父は一貫して「戦争に負けたからさ」と答えていたように記憶しています。今思えば当事者としてそれ以上の複雑な状況、絡み合った歴史、そしてその時の思いを平和な時代のティーンエージャーに説明したところで曲解されるだけだと考えていたのでしょう。ただ昭和天皇が崩御された時、週末なのでいつものように祖父母の家で朝寝坊していたら珍しく祖父に叩き起こされ、崩御のニュースを流しているテレビの前に座られたことがありました。あまりにも祖父の態度が厳しく真剣だったため、何故テレビの前に座らせれたのかを尋ねることもできませんでしたが、これは何か特別なことがあると考えたのは覚えています。

恐らく祖父は一つの時代の終わりを目撃・経験させると共にいつの日か「戦争に負けたからさ」以上には答えない理由を自分で調べさせるためにそうしたのでしょう。何かの意思を次の時代へ残すために。

ともかく当時の私は両親(主に父ですが)の回答は質問に対して「答えていない」と受け止めていました。祖父の「戦争に負けたからさ」という方がよほど求めている答えに近いと考えていました。しかし、中高生がそんなことをいつも考える筈もなく、そんな疑問はすっかり忘れてバンドや部活をして女の子に悶々とする青春時代を過ごした訳です。

祖父も鬼籍に入り、私はというと人並みの経験や勉強をした青年期を通り越して社会人も20年生の中年になり、更に人の親となりました。ここに来てようやく両親の「的を射ていない回答」の意味が少し理解できるようになった気がしています。

「戦争で負けたからさ。でもアメリカは戦後に食料や経済で支援してくれたから恨んではいけない。」という父の回答を今一度解釈してみるとこういうことが言いたかったのでしょう。

「(アメリカに)戦争で負けたからさ。(だからアメリカに占領され懲罰として日本の交戦権を奪ったし、日本は悪玉になっている)でも(理由はどうあれ)アメリカは戦後に食料は経済で支援してくれた(おかげで自分たちは生き延びることができ、経済大国となりお前も生まれた)のだから恨んで(現状の戦後秩序に疑問を持って)はいけない。」と。

これはGHQのプレスコードを内面化してしまったということもできるし、ある種の思考停止でしょう。そのことは父も解っていて中年になった息子の上述のような解釈を老人となった父は苦笑いと共に肯定します。(ただ父はアメリカの食糧援助で生き延びたのは事実であるため、アメリカの世界戦略に組み込まれていることを理解しつつも、未だにアメリカへの感謝は忘れていないそうです。)

ある種の思考停止を息子に強要するような説明も今なら理解できます。これは例え正論であっても社会や集団が「正しい」とする共同幻想を信じさせるための方便だったのでしょう。親の気持ちとしては自分の子供に「無用な摩擦を回避して生き易い考え方」をしてほしいものです。それゆえ時代の流れ、もしくは共同幻想としての戦後民主主義+日米安全保障条約としての枠組みを疑うような「危険思想」からは遠ざけたかった。人の親となった今はよく理解できますしありがたい配慮だったと思います。



それなら今のお前はどう考えているのか?ということになるでしょう。しかし長くなったので次回にします。

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