2017年1月26日木曜日

減点法、或いはノーコンティニュークリア

誰にだって難しいが我々日本人が特に苦手にしているのがいわゆる「損切り」である。投資用語としては解説不要だろう。しかし投資以外のビジネスの現場でも「損切り」が下手だと感じることがある。例えばある企業で何か新規事業をはじめたとする。アイデアを出し、企画書を作り、事業計画を立てたとしよう。欧米発のビジネス理論が一般的になっているので、当然その中に含まれてはいるものの、ついぞ実行されない計画がある。それは「撤退プラン」である。新規事業は難しい。新規性が高く、画期的(と企画者は信じる)であればあるほど、成功の確率は低い。千三つ(3/1000)の確率でしか当たらないと言われている。撤退プランには撤退条件が書かれている。例えば「2年以内に黒字転換しなければ」や「3年以内にXX億円の売上・X千万円の粗利に到達しなければ」などである。だが、これはまず実行されない。撤退条件は案外簡単に現実化する。というよりその可能性の方が圧倒的に高い。だから撤退プランはいつでもどこかで発動していなくてはならないはずだ。しかしこれがなかなか出来ない。これまでに注いできた労力が水泡に帰すと同時に「失敗」の烙印を押されることを非常に恐れるからだ。その結果、赤字を垂れ流しながら事業を継続し、あるタイミングで特損を出して会社自体が左前になるなどということは珍しくない。

なぜそこまで失敗を恐れるのだろう。
どうもわれわれは人や事業を「減点法」で評価するのではあるまいか。一人の最初の持ち点は100であるとしよう。つつがなく日々の業務を全うしているだけでは持ち点は維持できない。雇用者や上官が期待する内容をこなし続けて初めて持ち点が維持される。飛びぬけた成功があれば持ち点が一挙に増えることはある。だがそんな大成功は滅多にありはしない。すると結果を出し続けつつ、如何に失敗しないかというのが評価の基準となる。万一失敗してしまったら、それを取り戻すことは難しい。例えば-50の失敗をしたとしよう。「結果を出し続けつつ、失敗しない」というのはなかなか大変な努力が必要だ。それでさえ、毎日少しずつ目減りする評点を維持するのが精一杯だ。たとえば毎日何もしなければー1になるとすれば、毎日の努力は+1程度の評価になる。だが、失敗は簡単かつ短期的にー50の評価を招いてしまう。そうすると、普通に努力しているだけでは持ち点は50のままであり、日ごろの倍の努力で少しずつ51⇒52⇒53となるだけだ。三倍で53⇒56としていくこともできるが、とても身体が持つまい。その結果として、人は極度に「失敗」を恐れるようになる。むしろ「失敗の責任者」であることを極度に恐れるようになるだろう。だからこそ「失敗の責任」を少しでも回避すべく立場を利用して「部下」を中心とした他者へ責任を転嫁するようになる。


ではなぜ減点法で評価するのか?おそらくこれは農耕民族、それも北限での稲作民族であるという歴史と無縁ではあるまい。南方での農業であればそれほど神経質にならずに米を作ることはできるだろう。何しろもともとが南方原産のものなのだから。しかし、北限の米作ではそうはいかない。丁寧に手入れされた田んぼを作り、種籾を発芽させ、病虫害に気をつけながらそれを植える。明確な四季があるために、田植えのタイミングも水の調整もシビアだ。しかも稲作は重労働かつ労働集約的で、人の流動性に弱く、極度の協調性を要求される。何しろ失敗すれば稲は全滅し収穫ゼロもあり得る。これほどの努力を日々続けて得られるものは当初植えた田んぼの面積とほぼ等しい(若干少ない)収穫である。それを1000年以上続けてきた民族が我々なわけだ。これは減点法の評価が我々に染み付いている大きな原因の一つだろう。

更に日本人は言い訳を嫌う。少なくとも言い訳をしないことに美学を感じる。言い訳には釈明という側面もあるが、失敗の原因を特定して対策を立てるという機能もある。だが稲作は作業として確立されており、失敗の原因追及は不要だ。だから失敗があるとすれば個人の都合による「サボり」なはずである。従って言い訳はただ個人の責任回避の為でしかないはずで、それは組織労働のノイズでしかない。だが稲作のような確立された作業以外でも「言い訳するな!」で封じられる。その結果、原因特定はほぼ不可能になり、原因追求はなされなくなり、組織的思考停止に陥る。

さて、農業は天候に左右される。台風等の自然災害はもちろん、冷夏でも、多雨でもだめだ。ある条件下でイナゴでも大量発生しようものなら、あっという間に作物は全滅する。これは今でも人知を超えており、回避することはだいぶ出来るようになったものの完全コントロールすることはこれからもできそうにない。

それなら出来ることはなにか?西洋人なら神に祈ったであろう。日本人も神には祈っただろうが、あいにく日本の神々は一神教の神々のように全知全能ではない。だから神々にもそこまで期待できない。
できることと言えば「不吉なことが起こらないように」と心中で祈ることだけだ。そうなると「不吉な」言葉を忌避するようになり、その言葉を使う人間を同じく忌避するようになる。言霊信仰といってもいいが「縁起でもない」というやつである。こうなると失敗は不吉そのものなので、それを分析することは難しくなる。「言い訳」は後付でなされた不吉な予言のようなものだから(事後予言という)、到底受け入れられるものではない。撤退プランとは最悪のことを想定して被害を最小限に食いとどめるためのものだが、その想定すら不吉なものであり、非常に忌避されるようになる。これは我々が失敗を直視・分析できず一度ジリ貧になるとそこから抜け出せない理由の一つであろう。そして失敗者は「不吉」なのだ。誰が二度と使うものか。

減点法で評価され、言い訳はゆるされず、ノーコンティニューで事を成さなくてはならない。これがわれわれの社会であることをまずは直視する。この体質は戦前も戦後も変わっていないように私には思える。この体質は平時には非常に効率的になる。平時とは「目的と手段が明確であり、ルーティンや決まった手順をこなすと目的が達成できるような状態」のことである。大正デモクラシーから昭和初期にかけて、あるいは戦後の高度経済成長期からバブル崩壊までは「何をどうすればよいのか」がわかっていた時代であり、それゆえに比較的日本は力強く成長していた時期である。この場合、日本の減点法はかなり協力に作用する。強制しなくとも末端まで役割を理解して、高い品質かつ効率的に物事をすくめていくことができる。

しかし非常時はそうはいかない。非常時とは「目的は自明ではなく、手段が不明確であり、成功の手順がだれにもわからない状態」のことである。戦時はまさしくその状況であり、バブル崩壊後の日本もその状況であろう。こうなると我々はうまく仕事をすることがむずかしい。減点法ということはどの状態が満点なのかが判っているということだ。それは平時である。軍隊においては戦争をしていない時期のことであり、ビジネス(なんであれ市民生活)においては、何をどうすれば勝てるのかが判っている時期のことである。しかし非常時にはその基準が揺らぎ、流動的になっているので、自ら試行錯誤を続けなくてはならないし、誰かが大枠の方向性を(それが間違っているとしても)示し、そこに向けて柔軟に組織ややり方をスクラップ&ビルドしていかなくてはならない。

しかし、大枠の仮説を立て、スクラップ&ビルドを繰り返すことに「減点法」「言い訳無用」は適さない。帝国陸海軍の上層部の評価の基準はまず学歴である。陸大、海大卒業時の成績順に出世が決まる。海軍では成績順にハンモックの位置が決まっていたのでハンモックナンバーという。陸軍では成績優秀者に下賜された時計に因んで「金時計組」という。その序列に従って出世が決定した。
平時ならそれでよかっただろう。ところが戦争に突入してもこれ以外の基準を作り出すことができず、出世は一に学歴であった。米国のようにキンメル提督が更迭され、ミニッツが提督に抜擢される(士官学校での成績はあまりよくないが、実戦では抜群だったらしい)ようなこともなかった。
兵器はどんどん進歩し、それに伴って戦術はどんどん変わっていってしまう。しかしながら学校での成績は過去の内容を覚えてアウトプットするペーパーテストが基準になるので、むしろ柔軟に対応していくことは成績優秀者ほど難しくなる。平時なら米国でも学歴で出世が決まる。だが、非常時には「抜擢」による柔軟な組織運用や過去にとらわれない「大枠の仮説」(これを戦略という)ができる人間に任せるべきことを米国は知っていた。

成績優秀者で上層部に入った人々はその時点まで、平時の基準でノーコンティニュークリアを繰り返してきたので、「軍隊と戦争のことは何でも知っている」と自己規定している。だが、現実はどんどん変化していき、その知識や経験はあっという間に時代遅れになる。しかし、すべてを知っていると自己規定しているので、意見には耳を貸さず、自分の知識や経験の中で、現実を把握しようとする。かといって失敗を分析しようものなら、不吉なものに触れないという言霊信仰が頭をもたげてくる。分析しようとした人は「敗北主義者!」という烙印を押され、左遷や冷遇されることになる。(沖縄での八原高級参謀のように)

その結果、平時のやり方にただ固執し、ひたすらそれを繰り返すということになる。否、なった。帝国陸軍は「砲撃」⇒「突撃」⇒「占領」というやり方に固執したため、射程外からの戦艦による砲撃(艦砲射撃)により、大砲群を破壊し、連射ができる自動小銃や機関銃を大量に配置し、突撃してくる敵軍をなぎ倒す、という米軍の新戦術に対応できず、ひたすら「玉砕」という名の全滅を繰り返した。それは戦術をスクラップ&ビルドから新たに構築するということが、失敗したときの再起が難しい「減点法」という評価に阻まれた結果のひとつだっただろう。

もちろん帝国海軍も同じである。第二次大戦の時代、すでに戦艦は時代遅れであった。戦艦は更に強力な攻撃兵器である航空母艦と航空母艦が運用する大食いの「飛行機」という兵器を運用するために必要な補給艦や兵員を輸送する輸送艦を護衛する役目しかなかった。だが、帝国海軍はそれを理解していながら、「撃沈した敵艦の種類による査定ポイント」という時代遅れの評価に固執し、その結果補給艦や輸送艦を叩かず戦艦や巡洋艦ばかり狙った。その結果は当然ながら、各戦域において敵航空母艦と大兵力による蹂躙を許し、帝国海軍は壊滅した。

最終的にとられた戦術は陸軍も海軍も共通して「特攻」である。結局のところ作戦としての「特攻」とは、どれほど言葉を飾ってみたところで、現実に適応しきれなくなった上層部がすべてを投げ出してしまったということなのであろう。

流動化しているビジネスの環境。もはやどうすれば「勝てるのか」は不明確であり、プロダクトやサービスは当然の前提として「ビジネスモデル」の勝負になっている。この環境の中で「減点法」という評価方法を制度的・表面的にでなく、文化的・根源的に克服しないと企業をはじめとした日本の組織は帝国陸海軍の轍を踏むことになるだろう。失敗しつつある事業を「損切り」し、失敗から何かを学び、新しい事業を始め、また撤退し、また始める。これが我々は未だに苦手だ。かつてなら「死んでいった英霊に申し訳ない」となり、今は「これまでの投資をどう回収するんだ!」となる。

ウチの会社は旧軍とは無関係、それは歴史の彼方の話と思うなら、それはそれで仕方がない。また同じ失敗を繰り返すことになるだけだ。これは日本人が逃げてきた「反省」の大きなポイントだと、同じ弱点を持っている私は考えている。


2017年1月21日土曜日

志願の強要とブラック企業

2013年に公開された百田尚樹原作の映画『永遠の0』は、マスメディアの無視に近い扱いにもかかわらず大ヒットを記録した。丁度、宮崎駿のアニメ映画『風立ちぬ』と公開のタイミングが近かったこともあって、ゼロ戦ブームを呈していた。『永遠の0』は天才パイロットであり、「腰抜け」とまでいわれても、「死ぬこと」を忌避したゼロ戦のパイロットが、最後は自爆攻撃である特攻を志願し、戦死したのは何故か?ということが物語の骨子となっている。

特攻、正確には特別攻撃は、帝国陸海軍が戦争末期に米軍に対して反転攻勢の可能性がなくなった際にとられた組織的作戦であり、特攻隊員の死を前提に、飛行機・潜水艦・モーターボート・潜水士などが爆弾を抱え、敵艦・敵機に突入するというものである。一般には飛行機で敵艦に突っ込むことと認識されているが、実際には人間が操縦し突入する魚雷「回天」や、粗末なベニア製モーターボートで突入する「震洋」、潜水士が竿の先に爆弾を括り付け、敵艦を下からつついて自爆するという「伏龍」など、さまざまな手段がとられた。また、米軍による空襲が激化し、ボーイングB29という超高性能な爆撃機への対抗として、空対空特攻も行われた。

これらはすべて、「隊員の死」を前提に立案された作戦(その名に値するとして)であり、組織的にこれを行った国は日本しかない。普通に考えると「体当たり」しか方法がなくなった時点で、もはや戦争の勝ち目はなく、速やかに降伏を模索すべきであっただろうが、そうしたマクロ的な分析は他に譲ろう。ここで考えたいのは「志願」という問題である。

特攻は原則「志願制」という建前を取っていた。当然といえば当然で、絶対に死ぬ文字通りの「必死攻撃」なのだから、命令としては「死ね」ということになる。いくら帝国陸海軍とは言え、これはできない。作戦の上である部隊の全滅を前提に立案されることはあっても、ここの兵士に「死ね」というのは命令でできることではない。出来る出来ないは別にして「敵爆撃機を索敵(探すこと)し、これを殲滅せよ」という形でくるのが命令であって、その結果生き残る可能性が限りなくゼロであってもこれは命令として成立する。しかし、「死ね」というのは命令ではありえない。

それではどうするか。命令できないのなら、志願を募るほかない。ボランティアということになる。「特攻隊として突入してくれるものはいないか?」というわけである。その場合、記名式の志願確認用紙に志願の意思を記載して提出するパターンが初期には取られていたようだ。選択肢は3つ、「熱望する」「希望する」「希望せず」である。そして多くのケースでほとんどの兵士が「熱望する」に○をつけて提出したという。これを受けて左側からは「洗脳が徹底していたからだ」とか「皇国教育のせいだ」とか、右側からは「滅亡の淵にある母国を救うために若者はみな志願したのだ」という理解にたつ解説や評論を目にする。しかしこれは本当だろうか?考えてみよう。あなたが今、帝国海軍航空隊のパイロットだとしよう。あなたの所属の部隊で特攻隊員の募集がなされた。提出期限は明日の朝だ。さて、どうするか。

「志願せず」に○をつけるだけだというかもしれない。しかし軍人教育がどうのとか、時代の空気がとは別に、自分が志願しなくともだれかが行くのである。そのことはかなり重い条件になるだろう。その誰かはあなたの親友かもしれない。かと言って死にたくはない。もちろん特攻要員の人々の気持ちなど私に分かるはずはない。しかし葛藤しつつ「自分で決めさせるな。むしろ命令してくれ。」と思うのではないだろうか。それならば、責任は上官や上層部にある。しかし、ここで兵士に選ばせることで、作戦立案の責任は上層部が負うにせよ、具体的かつ個別の死についての責任は本人にある形になってしまう。それならば「熱望する」に○をつけて、上層部に下駄を預けてしまい、自分の死の責任を取ってもらうほうが遥かに気が楽になるのではなかろうか。また、時代背景として「希望せず」を選んだ場合、まさに『永遠の0』に描かれていたように「臆病者」「腰抜け」という評価が、上官にも同僚にもされる。想像するしかないが、これは非常に厳しい位置であったはずだ。時代背景、また軍というものは「勇気や名誉」を非常に重んずる。いやむしろ、これらを無上の価値として位置づけている。

現実にはほぼ全員が「熱望する」に○をつけた。上層部は結局誰が出撃するかを任意で選ぶ状況となった。「志願」という形を経たことで多少の免罪符は手に入れたかもしれないが、このような形の「志願」を果たして「志願」といいうるだろうか?

さて、このような問題は現代日本では無関係なのかと言えば私にはそうは思えない。このような構図は至る所に見ることができる。特に企業において顕著に類似する構図がある。例えばある営業マンが苦境に立たされたとする。その際に上司が部下を指導するという観点で「どうするのか?」と問い詰めることがある。これはある意味当然で、その営業マンが自分で解決策を考えて実行することができるようになるという成長には不可欠であろう。しかしこの場合にはその上司が問題を解決する力があり、かつ部下を育成する気があるというのが大前提である。だが、往々にしてそうではないことがある。

例えば達成不可能であることが分かった売上予算があるとする。この場合、この部門の管理職は達成可能な予算にまで修正し(様々な見通しや言い訳や来期見込みなどを揃えた上で)さらなる上位者にそれを報告し、修正予算を呑ませる。そして部下には「ここまでは何とか必達してくれ」というハッパをかけるというのが普通であろうし、あるべき姿だろう。
しかし、いわゆる「ブラック」だとこうなる。売上予算が達成不可能であることを把握した上司は、部下にできもしない訪問数や売上を強要する。しかもこれが志願という形をとるのだ。「どうするんだ!」「いえ、私は」「言い訳はいい!どうするんだ!」「いえ、私は」「400件訪問すれば予算に届くだろう!」「とても一月で400件も・・・」「言い訳はいい!やるのかやらないのか!」「いえ、私は」「お前のせいでチームメンバーに迷惑がかかっているんだ!やるのかやらないのか!」「・・・やります。」
当然、予算どころか、それを達成するための訪問数というKPIさえ達成できない。このタイプの管理職はここでこう言う「お前がやるというからやらせたのに出来ないとはどういうことだ!」これは要するに志願の強要だ。単なる責任転嫁でしかない。あるいは管理者の無能を示しているに過ぎない。そしてここから、旧軍にあった「恥を知れ!」「処決せえ!」「特攻に志願する者は前に出ろ!」という自殺の強要との距離は近い。

会社員が過重労働のため自殺するということが時折ニュースになる。しかし私の経験から「人は長時間労働だから自殺したり過労死したりする」のではないと言える。ただ長時間働いたら自殺するならば、ベンチャーの経営者はほぼ全員が自殺せねばならない。そうではなく、上述したような「悪しき圧力」を受け流したり、無視したり出来ず、まともに受け取ってしまうと「責任感ゆえの無力感」で追い詰められ、まともな思考力を奪われ自殺するのだ。かつて「軍隊は要領」と言われたそうだ。山本七平によればこの要領とは「気迫演技」だそうである。言葉を受け流して外面だけ緊張感を漲らせ青筋を立てて動作すれば、「やる気がある」とみなされ優遇されたという。そういうことができないと、死地に追いやられる。実質的にこれは「志願の強要による他殺」である。だが、今も昔も真の責任者は責任を問われない。昔上官、今上司というわけだ。(メディアとITのおかげで多少は是正されるようになったことが、昔よりマシだが、そのような救済に預かれるのはニュースソースになりうる大企業や話題の企業での犠牲者ぐらいだろう。)

旧軍の中にある思考様式を「反省」しないまま、われわれは戦後を生きてきた。旧軍の悪しき「文化的遺伝子(ミーム)」はいまだに我々のなかにある。順調な時は顔を出さなくとも、逆境において「悪しき日本軍の亡霊」は我々の中によみがえる。これは我々の弱点のはずだ。無意味なスローガンや当初計画に対するしがみ付き、それに伴う無意味な「特攻/異常な過重労働」。そしてそれを助長する我々の思考様式。これを克服せずには先の戦争を反省したとはいえまい。帝国陸海軍は消滅した。だがそのミームは残っている。むしろ軍隊がなくなってしまった為に普通の市民生活の中に顔を出しているのではないか。

長くなったので章を改めて書きたいと思う。
※ちなみに「何を反省するのか?」シリーズです。

2017年1月19日木曜日

交戦権という主権について(その2)

前回は日本の交戦権について、私の近親者を例にそれぞれの世代がどのように交戦権の停止という「戦争放棄」を捉えていたかをあくまでアウトラインですが書いてみました。従軍した祖父は「米国(中心の世界秩序)による懲罰」として捉えており、戦中派の父(母)は「(懲罰だがそこは留保、判断停止した上で)米国による復興支援を忘れるな」ということです。これが典型とはいいませんが、従軍した世代はある程度「日本の義・米国の義」を相対化しており、戦中(とはいえ実質的に戦後世代)に生まれた世代は「米国の義」しか意識していないか、意識的に日本の義という要素を避けているという風に見えます。
戦後民主主義絶対の中で育った世代としては当然でしょう。今回は交戦権についてをテーマにするので、この点についてはこれ以上深入りせずに早速本題に入りたいと思います。

国家は何のために存在しているのでしょう。言い換えれば国家の目的とは何でしょうか。私の考えでは「その国を構成している国民の幸福を最大化すること」です。個人の幸福は様々ですから、国家が個別にそれを支援していくのは物理的・リソース的に不可能です。であるならば、その目的を達成する(達成し続ける)ために国家がやるべきことは「安心して国民がそれぞれの幸福を追求するために安全を提供する」ことが最低限の公共の福祉でしょう。それが国家の最低限の役割であることには異論が少ないと思います。(従って私はいくつかの国家に見られるような為政者の幸福を目的にしたやある党の繁栄のためのを近代国家とは認めません。)また国家の役割の辞書的な定義としては「社会の秩序と安定を維持していくこと」ですが、秩序と安定にはその前に「安全と安心」がなければ成り立ちません。

さらに現代の主要国家の別の要件としては「議会制民主主義」であることが挙げられるでしょう。「国民の幸福」が国家目標であるならば、人類は今のところこれよりマシな理念(フィクション)を発明できていません。現代の間接民主主義が貴族制議会主義だとかの議論には立ち入らないようにして、すこし、民主主義の原理を考えてみます。

冷静に考えると民主主義というのは、「統治する側と統治される側が同じ」というかなりやっかいな要素を抱えています。ハイレベルのラグビーやサッカーのように、プレイヤー一人ひとりがフォワードやらバックやらという専門性を持ちながらも、ほぼすべての役回りをシームレスにこなしつつ(オートポイエーシス的に)ゴールする事が要求されるものです。そう考えると(あくまで概念的に)民主主義は国民に相当厳しい要求を突きつけるものだと理解しています。

その役回りの内に国家の最低限の役割である「国家の安全」に寄与することも当然ながら論理的な必然として存在します。具体的には兵士として(あるいは将校として)国家を守るということになるでしょう。統治者=被統治者なのですから、誰かが守ってくれるのではなく、国民自身が(つまり私やあなたが)国民自身を守るというのが論理的帰結です。すると民主主義は原則「国民皆兵」になるはずです。繰り返しますがあくまで概念モデルの話であり、現実には様々な社会的・技術的・歴史的・文化的制約から先進国で徴兵制がある国は少数派ではあります。しかし原型としては「国民皆兵」というのが民主主義が要求する「国家の安全」への国民の寄与のあり方です。それを踏まえた上で実際には高い専門性を持つ「プロの軍隊」に本来の義務を委託するというのが現実的な選択となっているのです。

「交戦権の否定」「軍隊の廃止」 という「戦争放棄」というのは、上述のように近代国家を構成する要件のうち、最も基本的な要件を否定するものです。従って、日本国憲法を額面どおりに運用する国家があるとすればそれは近代国家の体をなしていません。あるとすればそれは「保護領」もしくは「属国」です。米国が懲罰的な体裁をさらに裁判という体裁で二重に隠し大日本帝国に仕掛けた「国家解体」のための重要な方策、それこそが日本国憲法であり、とりわけ「第九条:戦争の放棄」であったというのが私の見方です。また同時に軍隊を単なる「悪」と見傚し本来の国民の(市民のと言い換えてもいいです。古代ギリシア以来の市民的義務ですから)義務である兵役を考えることすら国民がしない状態はその「保護領としての状況」を固定化するものでしょう。

もちろん、防共の砦としての役割を日本にも賦してしまったが為に、現実に9条は額面どおりには機能していません。陸海空の自衛隊の存在、とりわけ領空侵犯に対するスクランブルという戦闘機の運用等のおかげでいろいろな留保がつくものの日本は準近代国家ぐらいの位置にはいることができていると考えています。


少し論点を変えましょう。サイレントマジョリティの日本人は9条の廃止(まあ、そう言い切ってよいでしょう)について慎重な態度です。憲法改正論議は一時よりもはるかに自由になり、これだけ自民党の中でも目だって改憲派である安倍政権の支持率が高くとも、そう簡単には9条の廃止に対して前向きにはならないわけです。その理由を考えてみましょう。

一つには「惰性」があるでしょう。「戦後長い間戦争に巻き込まれてこなかったのだから、このままでいい」ということです。これはこれでよく理解できますし、現実と理念のねじれ(憲法上軍隊はないけど自衛隊はある)が、軽武装・経済重視(吉田ドクトリン)とうまく連携し戦後の経済的な繁栄につながったというのも事実です。またそのねじれの為に(或いはうまく利用することで)自衛隊を戦地に派兵することもなく(現実にはいろいろありましたし、今もありますが)今に至るわけです。しかし多くの人がうすうす感じているように、これまでそうだから予見可能な未来にそうであるという理由はありません。日米安保が機能不全になればチャイナ(中共)や場合によっては朝鮮半島が軍事的な行動に出るという可能性はもはや否定できないでしょう。それを見ないように考えないようにするというのが「惰性」です。

二つ目です。こちらが実は真因だと私は考えているのですが、真の意味で「太平洋戦争(大東亜戦争)」の反省ができていないという理由です。ここでいう反省は「一億総懺悔」とか「謝罪外交」とは無関係です。普通に考えて反省とは何かを失敗した時にその原因調査を行い、対策を立てて実行することでしょう。

一般企業で販売した商品の不具合によるリコールが発生したとしましょう。普通に考えて、まず暫定対策を行い、不具合の真因を特定し、対策を立案・実行し、再発防止を徹底し、その上で消費者に謝罪するということをします。ここまでやって消費者側は「反省して、誠実に対応した」と認識しれくれる可能性が出て来ます。そうすれば徐々に信頼を回復できるかもしれません。しかし、単に謝罪をするだけで何もしなければ消費者はその企業を再び信頼することはないでしょう。

難しいのは国家の場合「企業=一般消費者」なのです。少なくとも「企業の従業員=一般消費者」という図式になります。(戦前・戦中とて様々な欠陥がありながらも議会はありました。)

「何故大日本帝国陸海軍は負けたのか?負けるにしても壊滅的な負け方をしたのか?」という原因調査と「では負けない、負けるにしてもここまで壊滅的に負けないためにどうすればいいのか?」という対策の立案がこれまで国民的な議論としてなされてきたでしょうか。もちろん答えは「否」です。

「一部の軍部にだまされて、あるいは強制されて、国民は冒険主義的軍国主義に走り、無謀にもアジアの盟主になろうとして米国という巨大かつ強力な民主主義勢力と戦って敗れ、国民は悲惨な目にあった。ゆえに軍部と軍隊が悪い。(従って国民は悪くない=日本国民は12歳)」という騙り(カタリ)によって自らを思考停止し、反省という名の国際的な謝罪を繰り返したというのが本当のところでしょう。

それゆえに未だに「必ず負けるとわかっていた米国と何故戦ったのか?」「従軍した兵士の大部分が餓死するような作戦が立案・遂行されたのはなぜか?」「占領した国々(フィリピンなど)の協力を得られなかったのはなぜか?」「兵装が古いまま大戦争へ突入してしまったのはなぜか?」「どのように戦争を終結させるつもりだったのか?」「そもそも戦争目的はなんだったのか?」などの素朴で根本的な問いに対する一般的な回答が共有されていません。あるとすれば「軍部が馬鹿だった」という話ですが、これも一種の思考停止です。東京大学より難しかった陸軍士官学校の卒業生たちが、何らかの意味で優秀でなかったわけはないでしょう。また従軍した世代(明治大正昭和初期生まれ)が我々よりも馬鹿だったというはずもありません。

この反省がなされないからこそ、現代の日本人は「軍隊」というものを運用する自信が持てないのです。近代戦が下手なのは下手だとして、またあの「壊滅的な敗戦・破局」を招来してしまうのではないか?という疑問から自由になれないのです。もちろん、その可能性はどこまで行っても付きまといますが、近代国家を、ましてや先進国を名乗るなら、「あの戦争」を反省した上で、軍隊を運用してみせるしかないでしょう。それ以外に我々が江藤淳の戦後空間という「ごっこの世界」の檻から抜け出し、リアリティを取り戻す道はないと私は思うのです。それこそが先人たちへの回答であり、この先も混沌とし弱肉強食であろう未来を生きるしかない子供たちへ渡すバトンではないかと愚考するわけです。

いうまでもないことですが「戦争をしたい」訳ではありません。誰だって(勿論私だって)死にたくありませんし、殺したくもありません。ただその戦争を防ぐために、必要とあらば抜刀できる構えをとらないと、無意味に戦争を招いてしまうと考えているのです。想像以上の頻度で「チャイナ・韓国・ロシアそして台湾」の領空侵犯はおきています。そこでもしスクランブルを航空自衛隊が実施しなければ「日本は抵抗しないぞ」という誤ったメッセージを相手に渡してしまうでしょう。
現実にはすでに帯刀しているのです。ただ「帯刀禁止」という憲法が、現実に戦わねばならない自衛隊員を苦しめ、日本人の目を現実から背けさせ、対米依存以外の道を考えさせないのです。その状況は一刻も早く是正させるべきというのが私の考えです。



第一歩は真の「反省」ではないでしょうか。

2017年1月15日日曜日

交戦権という主権について(その1)

「何故日本だけが交戦権という主権を停止されているのか?」
これに関して私は納得の行く説明を誰かから聞いたことがありません。(若干読んだことはあります。)少し前にも書きましたが、私は昭和50(1975)年に東京の世田谷区というところで生まれました。戦中(昭和18年・昭和15年)生まれの両親に育てられ、自営業をしていた両親は週末になると私を近くに住む母方の祖父母(明治44(1911)年生まれの祖父と大正9(1920)年生まれの祖母)に預け、特に祖父に可愛がられて少年時代を過ごしました。

くどくどと何年何年と書きましたが、このテーマはかなり世代によって見解が異なる気がするからです。子供の歴史観に大きな影響を与える学校教育や社会情勢はかなり年代によって異なりますし、直接従軍した経験のある身内や微かであっても戦争の時期を体験した身内がいるかどうかもテーマへの見解へ重要な影響を与えるでしょう。

冒頭の「日本の交戦権の停止」について小学生の頃に両親に尋ねたことがあります。「どうして日本は戦争しちゃいけないの?」と。父と母の回答は同じものでした。「戦争になると人が沢山死ぬし、戦場に行くというのは死にに行くのと同じだからだよ。」父と母の答えに微妙なニュアンスの違いは感じましたが、内容は同じでした。同じことを大好きだった祖父に尋ねたこともあります。祖父の答えは「戦争に負けたからさ」でした。それ以上については子供に分かるはずがない(今もその判断は正しいと思います)と考えたのでしょう、それ以上は笑って答えてくれませんでした。

当時の義務教育の社会や歴史科目はバリバリの戦後民主主義・東京裁判史観であり、日本悪玉論の全盛期。今でも覚えていますが、幸徳秋水のような社会主義的無政府主義者(バクーニンみたいなもんですね)が歴史の教科書か何かにイラストで載っており、与謝野晶子と一緒に「私たちは人が人を殺す戦争には反対です」のような吹き出しが書いてありました。抵抗むなしく帝国主義と軍国主義の世の中に敗れたような調子で表現してあり、あたかも悲劇の英雄のような扱いでしたね。(今の教科書はどうだか知りませんが。)

少し長じて中学生ぐらいになると、学校教育で教わる内容に少し疑問を持ち始めます。それは単純化すると「歴史の教科書の通りだとすると戦前の日本人が馬鹿で軍部に騙されていたことになるが、祖父を見ていると到底それほど馬鹿には見えない」というような疑問です。その頃は同年代の子供の水準としてはかなり読書していた方だったので、第二次世界大戦の大雑把な経緯や日本国憲法成立の経緯も知っていました。

それでまた両親と「なぜ日本だけが戦争してはいけないのか?憲法9条とはなんなのか?」について話をしましたが、数年前の説明では息子が納得しないので、父が「戦争で負けたからさ。でもアメリカは戦後に食料や経済で支援してくれたから恨んではいけない」という趣旨の説明をしました。これは何故かよく覚えています。

祖父は一貫して「戦争に負けたからさ」と答えていたように記憶しています。今思えば当事者としてそれ以上の複雑な状況、絡み合った歴史、そしてその時の思いを平和な時代のティーンエージャーに説明したところで曲解されるだけだと考えていたのでしょう。ただ昭和天皇が崩御された時、週末なのでいつものように祖父母の家で朝寝坊していたら珍しく祖父に叩き起こされ、崩御のニュースを流しているテレビの前に座られたことがありました。あまりにも祖父の態度が厳しく真剣だったため、何故テレビの前に座らせれたのかを尋ねることもできませんでしたが、これは何か特別なことがあると考えたのは覚えています。

恐らく祖父は一つの時代の終わりを目撃・経験させると共にいつの日か「戦争に負けたからさ」以上には答えない理由を自分で調べさせるためにそうしたのでしょう。何かの意思を次の時代へ残すために。

ともかく当時の私は両親(主に父ですが)の回答は質問に対して「答えていない」と受け止めていました。祖父の「戦争に負けたからさ」という方がよほど求めている答えに近いと考えていました。しかし、中高生がそんなことをいつも考える筈もなく、そんな疑問はすっかり忘れてバンドや部活をして女の子に悶々とする青春時代を過ごした訳です。

祖父も鬼籍に入り、私はというと人並みの経験や勉強をした青年期を通り越して社会人も20年生の中年になり、更に人の親となりました。ここに来てようやく両親の「的を射ていない回答」の意味が少し理解できるようになった気がしています。

「戦争で負けたからさ。でもアメリカは戦後に食料や経済で支援してくれたから恨んではいけない。」という父の回答を今一度解釈してみるとこういうことが言いたかったのでしょう。

「(アメリカに)戦争で負けたからさ。(だからアメリカに占領され懲罰として日本の交戦権を奪ったし、日本は悪玉になっている)でも(理由はどうあれ)アメリカは戦後に食料は経済で支援してくれた(おかげで自分たちは生き延びることができ、経済大国となりお前も生まれた)のだから恨んで(現状の戦後秩序に疑問を持って)はいけない。」と。

これはGHQのプレスコードを内面化してしまったということもできるし、ある種の思考停止でしょう。そのことは父も解っていて中年になった息子の上述のような解釈を老人となった父は苦笑いと共に肯定します。(ただ父はアメリカの食糧援助で生き延びたのは事実であるため、アメリカの世界戦略に組み込まれていることを理解しつつも、未だにアメリカへの感謝は忘れていないそうです。)

ある種の思考停止を息子に強要するような説明も今なら理解できます。これは例え正論であっても社会や集団が「正しい」とする共同幻想を信じさせるための方便だったのでしょう。親の気持ちとしては自分の子供に「無用な摩擦を回避して生き易い考え方」をしてほしいものです。それゆえ時代の流れ、もしくは共同幻想としての戦後民主主義+日米安全保障条約としての枠組みを疑うような「危険思想」からは遠ざけたかった。人の親となった今はよく理解できますしありがたい配慮だったと思います。



それなら今のお前はどう考えているのか?ということになるでしょう。しかし長くなったので次回にします。

2017年1月11日水曜日

UP OR OUT

日本企業の最高益は毎年のように更新されているのに、給与はさっぱり上がらない。よく考えれば(粗利とかFCとかVCとかは傍に置いて単純に)「売上−費用=利益」なのだから、人件費を抑制する傾向が最高益更新に貢献しているのは間違いないでしょう。不思議なことにこれに対する処方箋として、雇用の流動化を推進するような評論や提言を結構目にします。

給与水準を維持向上させることと雇用流動化(クビにし易い・転職しやすい)は相関関係がありますが、大多数の給与水準を向上させることの処方箋にはなりません。しかし経営側と少数の上位層にとってはメリットのある話なので、喧伝されているのだろうと理解しています。

どういうことか。当たり前のことを整理のために書いてみます。
経営者にとっては正社員を雇う(直接雇用する)ことは、割とリスクがあることです。いつもその人が生産活動に従事して、雇用にかかる費用以上の価値を生み出せればいいのですが、必ずしもそうとは限りません。分かりやすく工場を例にとれば、繁忙期は皆が忙しく生産するのでそれが売れる限りは問題ないのですが、閑散期はどうしても人が余ってしまい、場合によっては雇用にかかる費用(とその他費用)が売上を下回るケースが出てきます。経営者は正社員(直接無期雇用の従業員)をタイムリーに解雇できればいいのですが、日本の場合はそう簡単ではありません。なので大抵の経営者は「思った通りに解雇したり雇用したりできればなあ」と思いつつ、慎重に少数精鋭で雇用することになる訳です。現状ではこの調整を派遣会社が担っているのは言わずもがなです。

また、経営者は優秀な社員に高い賃金を払うことには吝かではありません。その優秀な社員を繋ぎ止めておくためにも高い賃金を払いたいでしょう。しかし、それはそんなに簡単ではありません。優秀か否かは相対的なので、優秀な社員しかいないと言うことは原理的にあり得ません。賃金の原資は一定だとすれば、優秀ではない社員の賃金を下げるか、クビにするかしかないわけで、やはり経営者は「思った通りに解雇したり雇用したりできればなあ」と思いつつ、ボーナスなどでちょこっと差異をつけたりするわけです。当然、優秀な社員にとっては「あいつらに払う給料が下がれば、俺の給料がもっと上がるのに」と言うことになります。

流動化推進派(便宜的にそう呼びます)が雇用を流動化させると言っても、どの程度、どのように流動化させたらいいのかのモデルがあるはずです。我が国のモデルと言えばなんでもかんでも米国なので、米国をモデルケースとして考えていることで間違いないでしょう。

先日読んだ軍事学関連の書籍に「米軍では、一定期間内に一定以上昇進できない場合は解雇される」と言うことが書いてありました。これを「UP OR OUT」と言います。これを読んだ時「米国式の雇用というのは、本当に日本とは異なる文化や考え方に基づいているんだなあ」と思いました。というのは、このような環境で働いた経験があって、それはある種特殊な世界だと思い込んでいたのです。しかし米軍も同じだと知って、少なくとも米国では一般的なのだと改めて認識したわけです。

このUP OR OUTが米国の流動的な雇用の一つのタイプであるのは間違いなさそうです。すると先ほどのような日本の経営者が夢想する状況を実現するためにはこれを実践するのも一つの方策になるかもしれません。
実態としてUP OR OUTで働くことがどんな感じかを私の経験に基づいて書いてみましょう。外資系コンサルティング会社(以下、外資系ファーム)で働いたことのある方には言わずもがなの内容ですが、そこはご容赦ください。

さて、外資系ファームに転職するとまずは契約書にサインをします。ポイントは2つあります。まず、給与は年俸制です。プロ野球選手などと同様に毎年契約を更改して、その年の年俸(年収ではない)が決定するわけです。年俸は職位によってほぼ決まっており、中堅のコンサルタント(30歳前後)でだいたい600万~900万ぐらいです。次に昇進と解雇についてです。契約書面には大体次のような趣旨の内容が書かれています。

「3年以内に次のランクに昇進できない場合、一定期間以内に解雇となる」

これがいわゆるUP OR OUTです。そしてこれは現実に運用されています。(例外はいますが)
昇進の条件はプロジェクトでの実績(評価)が中心ですが、語学力などの付帯条件もTOEIC630点以上などかなり明確化されています。このあたりがあいまいな日系企業とは好対照です。また、解雇に関するルールもこの際に説明されます。例えば解雇の通告から半年間は会社に在籍したまま、会社の名刺を使っての転職活動ができるなどです。

契約書にサインしてオリエンテーションを受けた後、コンサルティングの現場に行くのですがこれは黙って勝手にアサインされるわけではありません。今現在プロジェクトにアサインされていない各コンサルタントはプールされます。この状況を「アベイラブル」と呼びます。(「いまアベっててさー」などと使います)

プロジェクトをまとめるマネージャはこのアベイラブル状態のコンサルタントから、自分のプロジェクトを遂行するために必要な戦力を一人ひとり面談して決めていくのです。コンサルタントはいつまでもアベイラブルが続くと解雇されてしまいますし、全く評価されない(結局解雇される)ので、必死にオファーに喰らいついていきます。一方マネージャはデータベース化されたコンサルタントの過去の評価(転職時点では前職)を参考に必要な知見や経験を持つコンサルタントを呼び出しては面談を繰り替えすのです。

いざプロジェクトが始まれば、クライアントにインタビューし、WBSを作ってタスクに落とし、業務分析をしたり、システムの調査をしたりしながらコンサルティングを進めていくわけですが、リリース(プロジェクト終了、もしくは継続中プロジェクトからの離脱)時にマネージャから評価を受けます。この評価があまりにも悪かったり、いくつかのプロジェクトで悪い評価が続くと、どこからもアサインされなくなり、結局解雇にいたるのです。(おかげさまで、私は解雇のプロセスには入ったことがありませんが、体を壊しかけたので退職しました。)

このような状況で何がおこるかというと、職場に大抵一人や二人はいる「困った人」や「お馬鹿さん」が一人もいない会社になります。結構驚異的なことで、ほとんど誰もが私よりも優秀という状況にびっくりします。かつてプロジェクトで一緒になった「こいつつかえないなあ」と思ったメンバーはいつの間にか解雇されています。また、優秀なメンバーは更に上を目指す(収入も地位も)ためにいつも勉強しています。普通に仕事をしているだけでも、例えば来週クライアント企業の工場長にインタビューとなれば、付け焼刃であろうが関連書籍を徹底的に読み込まざるを得ないわけです。その結果、優秀な人は更に優秀になり、普通の人がのんびりしていると「お前そんなこともしらないの」ということになり、評価があっという間に落ちるということになります。

この環境で2-3年生き延びることができれば、年俸+残業+手当などで、大体1000万ぐらいは稼げるようになります。人によりますが、使う暇がないくらい働きますので、借金は減り貯金が増えます。ちょっと外資系保険業界に似ているかもしれませんね。3年生き残れば、ザコキャラから、南斗百八派の使い手ぐらいには認知され、マネージャになれば六星拳の一人ぐらいに、シニアマネージャになれば五車星ぐらいに、役員クラスで北斗三兄弟ぐらいになるイメージです。

こう書くとものすごく厳しい世界に見えるかもしれませんが(いや実際厳しいのですが)、UP OR OUTが機能するために日系企業にはない仕組みや文化があります。

何といっても、年齢に対して高い収入を得ることができます。1000万円超はもちろん、2-3000万円クラスの収入の人も珍しくありません。猛烈な激務を課されても「これだけ貰っているから」というロジックで頑張れます。日系企業で30前の若手に1000万の年俸を出す企業は非常に稀でしょう。
また出入りが自由です。「退職=裏切り」とは考えないので、辞めたはずの人がいつの間にか外で修行を積んでマネージャで戻っているなんてことも普通にあります。意外と敗者が復活できるのです。もちろん、ほとんど全員が定年まで会社にいませんから、転職・退職は普通のことですし、転職も会社がサポートします(まあ、皆さん優秀なので独立を含めて勝手に決めてきますが)。それで「負け犬」とみなされることも(あまり)ありません。

更にこれが日系企業との一番の違いだと思いますが、前職の職務がかなり評価されます。前職で課長ならマネージャから、部長以上だと(クライアントを引っ張ってくることが前提でしょうが)いきなり本部長クラスもありえます。実際に同時入社の方がそうでした。二等兵の初歩からやり直させることが好きな日本企業にはなかなかできない芸当でしょう。それぞれの個人がどのようなスキルセットを持ちどのようなファンクションをどの程度こなせるかを明確化する努力をしているからできることな訳です。個人と組織が祖結合で「個人は個人である」という基本的な考え方を組織が密結合で擬似家族主義的な日本企業には受け入れることは難しいことでしょう。

日本において流動化推進派や経営者が夢想する「思った通りに解雇したり雇用したりできればなあ」という雇用の流動化は少なくとも上記のような仕組みや文化もセットでない限り、単に雇用者が従業員をさらに追い詰めるだけのものになるでしょう。和魂洋才じゃありませんが、日本で機能する「雇用の流動化」を模索しない限り、経営者の夢は実現しないか、従業員がただ疲弊する結果になってしまうことは容易に予測可能です。(なんだか「蟹工船」みたいですね)


例えば、副業禁止規定を緩和し、一人の従業員が複数社で働く(従業員は一社に収入を依存せず、雇用者はタイムリーに給与を支払う)というような仕事のあり方がひとつの方向性なのではないでしょうか。これもそう簡単だとは思いませんが、米国の猿真似よりはるかにましな道に見えます。派遣契約ではなくて、一人ひとりがプロフェッショナルスキルを身につけていくという意味においてですが。

2017年1月7日土曜日

胃もたれ

1975年生まれなのですでに四十路なわけですが、割と見た目が若いためか、案外年齢を感じることは少ない私です。確かにお腹周りは緩んできましたが、白髪はほとんどないし、トラブルがあれば徹夜で勤務もできるし、視力も未だに左右とも2.0だし、15Kgを超えた娘を抱っこして1kmくらい歩くことも、クロールでこれもやはり1kmぐらい泳ぐこともできるしと、正直なところさほど普段は衰えを感じません。

ところが、昼食選びの時、ふと「油物」を微妙に回避していることに気がついて「ああ、どうやら俺も順調に老化しているのだなあ」と妙に納得してしまいます。何しろここでチョイスを間違えると午後の仕事のやる気と効率が大体50%以下に低下してしまうので、そう簡単に間違うわけには行きません。

午後の仕事のために回避したいランチメニューランキングです。

◆5位:カレー
辛いものが好きなので、CoCo壱番屋だろうとインドカレー屋だろうと大好きなのですが、これがまたほぼ100%胃もたれします。カツカレーなど言語道断。まず間違いなく午後は仕事になりません。ついつい匂いにつられて食べてしまい「しまった!」と思っても時遅し。全然集中できなくなり、仕事の効率は6割ぐらいに低下してしまいます。体調が悪いと医務室で横になる羽目に。

◆4位:ポテトフライ
ハンバーガーのお供ですが、これが鬼門。私の場合特にマクドナルドのポテトはいつまでもいつまでも臭いが胃の中に残り、胃もたれというより不快感で仕事になりません。御多分に洩れず炭水化物は大好きなので、30歳ぐらいまではよく食べていたのですが…
もはや休日でも食べなくなってしまいました。食べても2−3本で十分です。

◆3位:家系ラーメン
油脂を多く使うラーメンは全般に食べなくなってきましたが、最近ではそこら中にある家系ラーメンがかなり胃もたれします。いわゆる博多のとんこつラーメンではそれほどダメージがないので、とんこつ醤油になると途端にキツいのは不思議でなりません。

◆2位:唐揚げ全般
高校生の頃、部活の帰りに近所の丼物屋でご飯の上に甘辛のタレをのせ、焼き海苔を敷き、その上に大きな鳥の唐揚げが4つ乗った「海苔カラ丼」にさらにマヨネーズをたっぷりかけたものを「おやつ」として晩ご飯の前によく食べていたのですが、もはやそれが信じられないぐらい胃もたれ・ムカつきの大元です。自宅で食べる晩ご飯のおかず以外では食べません。稀に食べるのは、午後にはやることがほぼないか、遠方での仕事であとは新幹線か飛行機に乗って帰るだけの場合だけです。

◆1位:天ぷら全般
はい。もう全くダメです。天丼や天ぷらそばはもちろん、立ち食いソバでちくわ天を乗せただけで、午後は仕事になりません。一刻も早く横になりたい衝動との戦いで3−4時間がすぎ、気づくと定時でまだ何も仕事が終わっていないという悲劇になります。夜ならなんとか食べますが、食べたあとは何もしたくありません。電車に乗るのも億劫になります。

とここまで書いて、相当おっさんなことを書いてしまったようです。そうそう、私はおっさんなのです。40代は中年であり、加齢臭が似合うわけです。それを自覚して、できればあまり周囲に迷惑をかけないおっさんでありたい。そう切に思うのです。

そういえば、白髪はなくても鼻毛は白いし、徹夜で働くと二、三日は使い物にならないし、視力は良くても老眼でプラモデルを作るときは老眼鏡が必要だし、娘を抱っこして1km歩くと息切れするし、1km泳ぐとぐったりして両腕が上がりません。なんだ、衰えてるじゃん。ちゃんと。よかった。


若やぐのはいいけれど、若ぶっても仕方がない。とりあえず40代までよく生き延びたと思うことにしよう。

2017年1月6日金曜日

2017年スタート「観る層/観ない層」

謹んで新春の慶びを申し上げます。

さて、色々ありました丙申も終わり、丁酉が始まりました。昔の暦であった十干十二支もほぼ誰も知らなくなりましたが、これはこれで文書が引き締まって良いので私は勝手に使い続けようと思います。

2016年は随分日本国民の「分断」が進んだと感じていました。分断といってもいわゆる「左右」や「ドリーマーv.s.リアリスト」ではありません。これはもはや決着がついています。そうではなくて、どの物語を信じるかというような観点での分断です。

マーケティング的に色々なフレームワークを駆使して分析することは、それぞれの専門家に任せておくとして、ここでは身近な人々とSNSやテレビなどを「観察」した結果、考えたことを書いてみます。

最近の構図としてはこんな感じでしょう。
「これまで大多数に信じられてきた物語の崩壊(陳腐化)が随分進んだにも関わらず、エスタブリッシュメント(を自認している人々)と旧来の物語から抜け出せない人々が、未だにその物語の有効性を信じている(フリをしている)」

ものすごく大雑把に言えば「テレビ(マスメディア)を観る(信用する)層と観ない(信用しない)層」に分断してきたと言うことです。統計を取った訳ではないので何とも言えませんが、社会的地位や収入の多寡とはあまり関係がない気がします。

「観る層」(面倒なので略)はマスメディアの論調をそのまま事実と看做すか、そうでなくとも深く考えることなしに「みんながそうだから」という理由でそれに乗る人々であり、インターネットが主要インフラになる以前よりかなり減ったものの、未だにかなり多数を占めています。かつては「ほとんど」の日本人がそうだったといってもいいでしょう。この層の人々はマスメディアが流す「旧い物語」を未だ信じています。もっと大雑把にニーチェの「畜群」と言ってもいいしオルテガの「大衆」と言ってもいいでしょう。

「観ない層」はかつては非常に少数派でしたが、インターネットの発達により、かなり増えてきたと考えられます。この層はマスメディアの情報をあまり信用せず、テレビをたまに観ても批判的で、グラフなど恣意的に放送しようものなら、「検証」してその情報操作を突っ込んだりします。この層の人々は概ね「旧い物語」の賞味期限はとっくに切れたと看做しており、新たな物語を模索するか、物語そのものに懐疑的だったりします。

この状況はSNSなどを見ていても(自慢話をアップしたり、幸せごっこを演出したりするFacebookでさえ)かなり、知的にバラけた状況に見えるので、SNSが日本人全体の近似値をあらわしていると言うことはできると考えています。

ここで思い出すのは適菜収氏の『B層の研究』などの著作で有名になった小泉純一郎元首相の選挙戦略のフレームワークでしょう。これは四象限の縦軸を「知能指数」、横軸に「構造改革」への好悪を取った身も蓋もないフレームワークで、広告代理店が選挙の宣伝戦略のために作成したものです。大胆に言い切ってしまえば、「観る層」が上記のフレームワークのA層(知的で構造改革肯定)+B層(知的でないが構造改革肯定)に該当し、「観ない層」がC層(知的で構造改革否定)+D層(知的ではなく構造改革否定) に当たると考えています。

そしてこの分断は私には非常に好もしいものです。
要するに「観ない層」が増えることが、ほとんどそのまま「戦後の終わり」へつながって行くと考えられるからです。マスメディアが主催してきた70年間、商売以外のリアリティのない「戦後空間」が崩壊し、我々がリアリティを取り戻して行く、そのプロセスの第一歩が2017年であれと考えています。

年初ですので、未来を言祝ぎたいと思います。


それでは本年もよろしくお願い申し上げます。